歴史を知ることはなぜ必要なのだろうか。それは、歴史が私たちの現在を作るものだからだ。自分たちの先祖が過去になしとげた偉業や、彼らが作り出した素晴らしい文化遺産を、現在の私たちが誇りに思う。当然のことだろう。しかし、そうだとしたら、私たちは同様に過去に責任を持たなければならない。そして誇りにも、責任にも、時効はない。あるポーランドの詩人がいみじくも言ったように、「記憶を失った国民は良心も失う」のだから。
歴史を研究するのは、歴史学者の仕事かもしれないが、それを国民的記憶として共有し、民族の財産とするためには文学的想像力が必要である。歴史とは単なる無味乾燥な事実の集積ではないからだ。「日本の過去と未来—Imagining Japan’s tomorrow」と題された“Worth Sharing”第5号に収められた小説や評論は、現代の日本の文学者や評論家たちがはるかな古代から近代、そして現代に至るまでの日本の歴史とどのように向き合い、そこに表れる問題にどのように取り組んでいるかを示すものである。それは過去の歴史を描いていると同時に、現在の日本人の雄弁な自画像にもなっているともいえるだろう。そのこと自体が、現代日本に興味を持つ海外の多くの読者への、私たちからのメッセージでもある――いまの私たちを知るために、どうか、私たちがこれまでどのような道を進んできたのかを見てください。
しかし、歴史は私たちを単に後ろ向きにするだけではない。なるほど、歴史とはたしかに現在と過去との終わることのない対話ではあるのだが、その対話は双面神ヤヌスのように、過去と未来の両方を見ながら、未来を切り拓いていくものでなければ意味はない。私たちは忘れかけた過去の中に、現代の「クールジャパン」をはるかに先取りするような素晴らしい文明を再発見することもできるし、また現在を掘り起こすことを通じて、逆説的な形で、実現してはならない恐ろしい未来の警告を読み取ることもできる。過去と現在の対話の中には、来るべき未来の日本を彩ることになるかもしれない夢と悪夢の、戦争と平和の、そして天国と地獄の両方が萌芽的な形で至るところに秘められているのだ。
悪夢と戦争と地獄を退け、夢と平和と天国をめざす未来への旅のよき道しるべとして、このささやかな冊子をお届けする。
2017年2月
沼野 充義(東京大学教授)