6年生の男の子、麻里生の一人称の語りで、日常の心の揺れを描いた物語。麻里生はある日、弟の森生が自分のジグソーパズルを勝手にさわっているのを見て、たぎるような怒りにかられ、弟を力いっぱい殴ってしまう。母にとがめられても謝ることができない。自分でも不可解な弟への暴力をきっかけに、3年前に離婚した父のことを思い出していく。土木事務所に務め、柔道五段でスポーツマンの父は、麻里生がソフトボールチームで失敗したり、運動会で負けたりするたびに、「ばか」「にぶい」「グズ」と言っては、蹴ったり殴ったりした。わがままを言ったときは、クローゼットに閉じ込めた。そうした父の虐待の記憶が、日常のふとしたきっかけで蘇ってくる苦しさが、まずは生々しく伝わってくる。
しかし、その一方で、生活のすべてがその記憶だけに支配されず、静かに救われていく様子が描かれていくのも、本作の魅力である。母子3人の暮らしをつくろうと努力している母の「逃げたんじゃない」という言葉、両親の再婚や新しい家族を受けいれようと努める同級生の姿、前の家には「大きなクモ」がいたと語る弟の鋭い感性。そうした周囲の人々のさりげない言動が少しずつ積み重なって、父の虐待の記憶から脱していく過程に、独特のリアリティーがある。公園で蝶の集まる木を弟と見上げながら、殴ったことを謝るラストシーンには、大人に否定されてもしなやかに再生しうる、子どもたちの静かな強さが感じられる。(OM)
しかし、その一方で、生活のすべてがその記憶だけに支配されず、静かに救われていく様子が描かれていくのも、本作の魅力である。母子3人の暮らしをつくろうと努力している母の「逃げたんじゃない」という言葉、両親の再婚や新しい家族を受けいれようと努める同級生の姿、前の家には「大きなクモ」がいたと語る弟の鋭い感性。そうした周囲の人々のさりげない言動が少しずつ積み重なって、父の虐待の記憶から脱していく過程に、独特のリアリティーがある。公園で蝶の集まる木を弟と見上げながら、殴ったことを謝るラストシーンには、大人に否定されてもしなやかに再生しうる、子どもたちの静かな強さが感じられる。(OM)